Hashed Kanzaki

Kanzakiのつぶやきが落ちてます

娘たちの病気と私

こちらの記事は、特に読まなくてもよいです。

私自身の覚書と心構えのために一応記しておきますが、金が絡む胸糞な話があるので閲覧注意です。

 

 

娘たちの病気

今年年女の長女(24)は、早産の末に1800グラムという超低体重児で生まれました。それプラス、片側の耳が耳たぶだけしかない「小耳症」という病気でした。大変難しい手術を二度乗り越え、形だけは普通の耳を取り戻すことができましたが、片方の耳は今も聞こえません。

1万人~2万人にひとりという確率――田舎の産院ですから初めての症例だと言われ、今のようにネットもない時代で情報を集める術はほぼ皆無で、ひたすら途方にくれました。

 

そして次女(23)は、発達障害を持って生まれてきました。自閉性スペクトラム障害、学習障害ADHD、境界知能、などなど複合的な障害です。幼稚園の時に何かが違うことに気付き、小学校に入学してから専門機関を受診、上記のような診断となりました。

薄々勘付いてはいたけど、あまりのショックでその日のことはほとんど覚えていません。

 

こどもを授かった母親は「自分に何かあっても、こどもだけは無事に生まれてくる」と信じています。でも私はそんな普通の願いが、二度ともかなわなかったのです。

 

たたかうおかん長女編

親が途方に暮れようが何しようが、こどもは育ちます。泣きます。ミルク飲みます。じたばたします。うんこします。

落ち込んでる場合じゃねえ、と気持ちを奮い立たせました。まずは長女のために「世界一の医者を探して形だけでも普通の耳を取り戻す」を目標にしました。情報収集、手術費用の貯金、色々と手を尽くしました。

手術費用を貯めたいがために妙な資格取得詐欺に三回も引っかかりました。バカです。

でもそれくらいお金に関しては必死だったんです。というのも――

 

逃れられない地獄

相方の両親――私にとって舅、姑ですね。こいつらがまあ信じられないほど金銭感覚が崩壊していて。親族の連帯保証人になって借金をかぶった、まではまあ仕方ないと言えますが、相方にカードを作らせ無断で限度額ギリギリまで借金を重ねていたことが判明。結局その分の借金は私たちが払うことに。色んな返済が滞ると私たちに金の工面を頼んでくるし、その金額がいちいちデカくて本当に大変。私のマイカーを売ってお金を作ったこともあります。小姑も同属性でよく金の無心をしてきましたよ。揃いも揃って最低だよこの野郎。

挙句に各種税金や介護保険まで滞納し続け、それらも全部「おまえら払っといてくれ」ときたもんだ。大変な金額でした。その後なんて言ったと思います?

「また次も頼むね (笑)」

殺意。

殺意しかない。

止めないでくれ。

こどもたちのための貯金もすべて、私の両親の遺産まで、こいつらに食いつぶされたんです。

文句を言いつつ結局親を助けてしまう相方にもうんざりして、何度別れようと思ったかしれません。でも、我慢しました。悪いのは相方じゃないんだと自分に言い聞かせ、すべてはこどもたちのためにと歯を食いしばりました。

 

おかん修羅と化す

というわけで長女の手術費用を工面するのに、大変とってもめちゃくちゃに苦労しました。首都圏のクリニックでの入院期間一ヶ月ほど、私も付き添わねばならないのでその費用もプラスすると結構な額になります。でも、頑張りました。私の食費を抑えるために朝食を抜いたり、スーパーの赤札惣菜を狙って買ったり。駅からクリニックまで、真夏に徒歩30分以上歩いて通って交通費を浮かせました。シューズ一足履き潰しましたw

それでも一回目の手術の費用を貯めるのがやっとで、二度目の手術までに同じ金額を貯めるのは不可能。恥を忍んで院長先生に「ボーナス後に手術をお願いできませんか?」と手術時期の変更をお願いしたのも、今ではもう思い出です。

二度の手術を終えて無事退院できた時の喜びは、それはもう。長女が生まれた時からずっと願い続けた「普通」を取り戻すという夢が、やっとかなった瞬間でした。

 

たたかうおかん次女編

病名が判明して以後、普通学級から特別学級に編入することに。離席が多く授業に集中できないためです。何とかよい方向に改善する手段はないかと探し回ってたどりついたのは、自閉症発達障害をはじめ、極度の人見知りなどで生活に「生きづらさ」を抱えた子供たちのために、マンツーマンで授業(勉強ではなく生活全般)をしてくれるこども教室でした。自宅から車で1時間強の教室へ月二回、他に通院も含めると、働きながらだとなかなかにハードなスケジュールでした。小学校の六年間だけでしたが、そこでの勉強で生活態度が少しずつ改善され、学校での生活がスムーズになったのは嬉しい変化でした。

中学は地元の特別学級でよかったのですが、問題は高校。

発達障害の生徒を受け入れる場所が、ものすごく少ないんです。知的だと各地に受け入れ先があるのですが……。選択肢が私立か公立しかない、と言われたら答えはひとつしかありません。片道1時間の養護学校へ三年間、毎日送り迎えをすることを決めました。

これもね……ハードだったんですよ……

まず、日中学校で何かあった時すぐに駆け付けられるよう(滅多にそういうことはないのですが)昼間フリーになれる夜勤に切り替えました。今現在働いてるクソブラックにはこの時からお世話になってます!

夜勤を終え3時間睡眠で起床し、相方の弁当作って支度を整え次女を一時間かけて学校へ送っていく生活を三年間。信号待ちでつい寝てしまったり、眠気覚ましにキャンディをガリガリかじりすぎて虫歯になったりしながら、私はやり切りましたよ。

 

ひとつだけ愚痴らせて下さい。

相方はこの時の三年間、自分が休みだろうと何だろうと、「代わりに俺が送っていくよ」とは一言も言ってくれませんでした。次女が相方を少し怖がっているせいか、付き合い方が分からなくてそういう気にならなかったのかもしれません。頼めば代わってくれたんでしょうけど、自主的にその言葉が出なかったことを私は一生忘れません。

( ゚д゚)ケッ

 

卒業式当日、異変

そんなこんなで三年間を終え、いよいよ卒業式当日。

長かったようで、あっという間だったなあとぼんやり思っていた矢先、突然の違和感にぞっとしました。

いきなり、大量の出血。

不正出血とは思えない量の出血に血の気が引きました。卒業式で気が抜けたせい、すぐに落ち着く、と自分に言い聞かせましたが、その異常出血はまったく止まる気配がありません。何度か受診はしたのですが、薬で一時止まってもまたすぐに出血してしまう繰り返し。酷いときは一番大きいおざぶとんが一晩で容量オーバーになるくらい。

実に一年半、大量の出血が続くことになりました。

 

睡眠だいじよ、みなさん。お願いだからちゃんと寝てね。

無理はだめよ。頼むから休んでね。Kanzakiさんからのお願いよ。

でなきゃ私みたいにこうやって体を壊すのよ、ある日突然、ね。

 

異常が異常を呼ぶ

大量出血を続ける日々で、味覚にも変化が。

なぜか「おかか」が異常に好きになり、一日に一袋食ってしまうようになりました。梅のキャンディも狂ったように食い漁ったりして、とにかく異常事態でした。

そして、ひどい息切れを起こすようになりました。仕事でちょっと荷物を運んだだけで、屈み込んでしまうほど苦しくて動けない状態になったんです。

さすがにまずいと思って受診し血液検査をしたら、担当医が開口一発、

「何この数値。よく無事にここまでこれたね」

その時のヘモグロビン値が5.8、平均値の半分以下。重症貧血でした。

「このまま帰して途中で事故ったら大変だから、今すぐ入院して」

( ゚д゚;)そのまま有無を言わさず強制入院五日間。男性なら死んでる数値だよと看護師さんに言われました。いやはや……

 

まあ、貧血は改善したけど出血は一向に止まらなかったので、結局その後内膜掻把手術をする羽目になったんですけどね。

術後の今は出血しないための薬を服用中です。やれやれです。

 

ハードモードを終えて

いや、まだ終わってねえんだわこれが。

長女は高校卒業後うつ病を発症し、これまた大変な事態になったんですがここは割愛。

現在は服薬治療をしながら働けるまでになりました。以前に比べてだいぶ良くなってきたので、今後少しずつ薬を減らしていけたらいいなと思います。

次女は大人になってだいぶ落ち着きが出て、薬さえ飲んでいれば特に問題なく日々を過ごせています。元々日常生活には何の不便もないので、B型就労支援施設で働きながら、のんびり穏やかに暮らせるといいなと思っています。

 

娘たちの病気と向き合いたたかった日々は、今考えても「どうやって生活していたのか」分からないくらい必死でした。何でどうしてと悲観に暮れる時間は無駄です。この先どうするか、を常に前向きに考え続けました。

ポジティブ思考を保たないと、私自身がもたなかったからです。

娘たちがあかちゃんの頃、育児ブルーと引っ越しブルー、金の亡者どもの魔の手など、色々なことが重なって激しく落ち込み、死ぬことばかり考えて泣いていた時期がありました。誰にも相談できない、仕事が忙しい相方に頼れない、年老いた私の両親に迷惑はかけられない。八方ふさがりでした。

 

唯一の心のよりどころ、逃げ場所だったネットの世界がなかったら、どうなっていたか分かりません。割とマジで。

 

でも、普通に暮らすだけでは絶対に知ることのなかった様々な世界を、娘たちを通してたくさん知りました。激動の日々で得た知識と経験が、今の私を形作っているのですね。

すべては無駄じゃなかった……とキレイに言いたいところですが、金銭関係の揉め事はホントに無駄でしかなかったです。あほらし。

 

散々私たちを苦しめ続けた連中は、もういません。

やっと私は、自分たちのためだけにお金を貯められるようになったんです。お金にこれ以上ないくらい苦労したからこそ、私は全力で「金持ちになりたい」と叫びます。

苦労が財産だなんてとんでもねえわ。あんな経験二度とゴメンだよ。

だから、私はお金儲けに貪欲になります。こどもたちにお金で苦労をさせないためにも。

 

あーあ

うん。Kanzakiの年齢について、大体察しがついたことと思います。

多分NFT界隈ではかなり高齢の部類でしょうね。クソブラックを辞めないのもそれが理由です。この年で転職って難しいんすよ。

NFTで成功してクソブラックを辞める!が今年の目標ですね✨👍✨

 

できれば同志各位には、いつも通り接してもらえると嬉しいなと思います。心は永遠の32歳なので。

あ、がっかりした方はそっと距離を置いてもらってもよいのですよ、去る者は追わず、来るものは拒まずです。

 

ここまで読んじゃった奇特なかた、ホントマジズッ友なんだけどwww

ありがとね!